3月例会

※下記例会は中止となりました。
 中国公民社会研究会3月例会を下記の要領で開催します。
 報告2本立てとなっております。ふるって御参加下さい。

◎日時:2011年3月26日(土) 15:00開始
◎会場:東洋文庫(財)現代中国地域研究資料室 会議室
 〒113-0021 東京都文京区本駒込2-28-21

 http://www.tbcas.jp/ja/access.html
※前回まで使用していた建物から、東洋文庫の本部の方に移転していますのでご注意下さい。

◎内容:
報告1
報告者:章蓉(東京大学大学院)
内容:博論構想「中国における「参加型」メディアの勃興とジャーナリズムの新展開――ネットメディアの事例を中心に――」

報告2
報告者: 麻生晴一郎(ルポライター
内容: 王力雄(馬場裕之訳)『私の西域、君の東トルキスタン』(集広舎、2011年)についての書評報告
 同書についてはhttp://www.shukousha.com/item_373.html参 照。

 村井寛志・張翔・大里浩秋・小林一美『中国と日本―未来と歴史の対話への招待―』

村井寛志・張翔・大里浩秋・小林一美『中国と日本―未来と歴史の対話への招待―』(御茶の水書房神奈川大学入門テキストシリーズ〉、2011年)

 下記部分を担当しました。
「はしがき」
「第1章 中国の「格差」」を多面的に考える」
  はじめに
  1.「中国は崩壊するか?」から「中国は日本経済の救世主になりうるか?」
  2.「中国」は一樣ではない
  3.格差をどう考えるか
  4.格差と少数民族問題
  5.市民の権利意識の向上
  おわりに

 高校生〜大学1年生くらいを対象としたブックレット形式の入門書です。入門書ということで、できるだけフリガナを多くしたので、漢字が多いと苦手という人にも良いかも?

第1章より

はじめに
 仕事柄、中国に関するテレビや新聞の報道はなるべく欠かさずチェックするようにしているのですが、最近は中国関係の報道を目にしない日はほとんどありません。中国が今話題の的です。しかし、そこで話題になるのは「中国はもうすぐ崩壊する」だとか、「中国が世界を支配する」とか、極端なものも少なくありません。もうすぐ崩壊しそうな国が、どうして世界を支配できるんでしょうか。あるいは逆に、中国に好意的な報道では、ただただ中国の発展はすごいと褒めちぎってますが、同じ番組、あるいは雑誌で1年前には「中国はヤバイ」とかいう特集を組んでいたのが、まだ記憶に新しかったりします。どちらかが嘘をついていたのでしょうか。
 中国に批判的なものにしろ、好意的なものにしろ、世間で流通するものの見方は一面的であることが多いように見えます。中国に限らないことですが、物事を現実に即して捉えるためには、良い面、悪い面というだけでもなく、それらが複雑に交差した、多面的なものの見方が必要です。この章では、中国に対する批判としてよく言及される「格差」を題材に、こういった問題を考えてみようかと思います。

1 「中国は崩壊するか?」から「中国は日本経済の救世主になりうるか?」へ
 これを書いている2010年2月現在だと、日本における中国関係報道は、今年(2010年)中に中国の国内総生産GDP)が日本を抜き、世界第2位の経済大国となることがほぼ確実だとみられている、という話題で持ちきりです。
 思い起こせば、おととし(2008年)は北京オリンピックの年であったにも拘わらず、四川大地震チベット暴動に加え、オリンピック前から見られた景気後退の兆しなどもあり、マスメディアが流す中国関係報道は総じてネガティブなものが目立ちました。当時は中国経済、あるいは中国そのものがまもなく崩壊する、などといった論調が多数登場し、『中国が崩壊する日』、『中国大崩壊』などといった中国(あるいは中国経済)の崩壊をタイトルに掲げた書籍がたくさん登場しました。これらの多くは興味本位にショッキングなタイトルを掲げているにすぎませんが、少なくとも一部の日本人が中国に対して持つ感情を反映しているように思われます。
(中略)
 このように、中国に対するメディアの論調は、景気の動向によってころころ変わります。昨年来の中国の経済回復には様々な問題点も指摘されていますし、その行方次第ではまた180度変わるかもしれません。しかし、短期的な景気動向にかかわらず、長い目で見れば、日本、あるいは世界の政治・経済の中で中国が持つ存在感が日に日に大きくなるのはほぼ間違いないでしょう。この大きな隣国について、単にお金持ちが増えて日本製品を買ってくれるかもしれない、という安易な期待だけでもなく、かといって、やっかみ的な批判や悪口を言うだけでもなく、中国が抱える可能性と問題の双方をきちんと見て行くことが求められているように思われます。
(下略)

 諸々の事情から、書いてから出るまで1年経ってしまったが...

 並木頼壽・杉山文彦編著『中国の歴史を知るための60章』

並木頼壽・杉山文彦編著『中国の歴史を知るための60章』
明石書店 (エリア・スタディーズ87)、2011年1月
価格: ¥ 2,100


下記の4章を担当しました。
第42章 連省自治から国民革命へ―統一国家への模索―
第43章 両大戦間期の中国社会―都市と農村、華僑と中国本土―
第44章 日中戦争=抗日戦争への道―侵略の全面化と抗戦体制の確立―
第45章 戦時下の中国―戦時体制のもたらした社会変容―

概説書という性質上、参考文献を十分に挙げられませんでしたが、家近亮子、石川禎浩、岩間一弘、奥村哲、金子肇、久保亨、後藤春美、小浜正子、笹川裕史、田中恭子、田中仁、前田哲男各氏(五十音順)の著作にお世話になることが大きかったです。この場を借りて感謝すると同時に、不勉強ゆえにあまりオリジナリティを出せなかったことを反省。

(第42章より)
 辛亥革命以降の中国では、多くの省で、駐留する軍人が政治を支配していた。これらは多くの場合、内戦で肥大化した兵員を維持する費用を現地調達しなくてはならず、勢力圏確保のために互いに抗争を繰り広げた。こられの軍隊に対する経費は、地方財政の大きな負担となっていた。これらの軍人は、このため非難を込めて「軍閥」とよばれた。これに対し、省議会などの自治機関が中心となって、軍閥の省政治への干渉を制限しようとする省自治の動きも出てきた。
 1920年湖南省で、省長民選などを定めた省独自の憲法制定の動きが登場した。これを皮切に、四川、浙江、広東など長江以南の諸省のなかから相ついで省憲法制定の動きがおこる。これらの省を中心に、北京の中央政府とは別に、連邦制の国家を作ろうという「連省自治」構想も唱えられた。一方、北京の中央政府では、袁世凱の死後、軍閥間の抗争による目まぐるしい政権交代がつづき、全国政治に対する掌握力は著しく低下していた。このため、省自治に対し妥協せざるをえず、1923年制定の憲法では省自治法の制定権が認められた。
(下略)

『神奈川大学評論』67・特集「変貌する中国社会―グローバル世界のなかで」

神奈川大学評論』第67号、2010年11月
特集:変貌する中国社会―グローバル世界のなかで
神奈川大学評論 第67号 目次|神奈川大学

中国の映画産業(2)「喜劇電影豈能“娯楽至死” (コメディ映画は“死ぬほどの娯楽”でいいのか)」

 授業で使った文献の続き(前期なので、実際に使ったのはしばらく前)。前に紹介した「賀歳需要多少影片?(お正月はどのくらい映画が必要?)と併せて中国の映画産業をテーマにした回で使った。

陳鵬「喜劇電影豈能“娯楽至死” (コメディ映画は“死ぬほどの娯楽”でいいのか)」
(『瞭望』49期、2009年12月7日)

[要約]
 2009年の中国コメディ映画は佳作も少なくないが、マンネリ化が進んで、全体的な水準としては高くない。同年の『瘋狂的石頭』(クレージーストーン)から多くの模倣作が出たが、寧浩の技巧は誰にでも真似できるものではない。
 08年の『十全九美』はコメディの水準を更に下げている。王岳倫はさらに『熊猫大侠』を撮ったが、この種の粗暴でちぐはぐなギャグが現代の娯楽の嘆かわしい特徴の一つとなっているというに過ぎない。
 中国最初の女の子映画『非常完美』(ソフィーの復讐)などはまじめなロマンチック路線で、ストーリーに粗はあるが、まだましだ。
 2003年頃から中国コメディ映画は田舎っぽい題材から都市物、ラブストーリーの方向に進んでいった。同時に、周星馳のナンセンスギャグ(「無厘頭」)を元にしたり、ネット用語や流行を取り入れようとした。テレビドラマ『武林外伝』は『石頭』にも劣らぬ出来で、ポストモダン的なコンテクストの消失が、人々に現実のやるせなさに嘲笑的な態度を取らせているということを気づかせてくれた。
 しかし、アイロニーデコンストラクションだけでは十分ではない。アメリカの作家アイザック・シンガーポストモダン文学を批判していることだが、価値のある言説が完膚なきまでに解体された後、我々の世界には何が残されるというのか。
 チャップリンサイレント映画のように、シンプルな動作と音の悪い音楽で、永遠に観客を感動させることができる。ニール・ポストマンがAmusing Ourselves to Death で描いたように、劣悪なネタやナンセンスなストーリーなどは結局は飽きられる。中国式コメディ映画が真剣な洞察や機知に富んだユーモアを欠いていれが、墓穴を掘ることになるだろう。

[コメント]
中国の最近のコメディ映画についてはほとんど知識がなく、どういう作品がヒットしているかもあまり知らなかったので、個々の作品の情報ので勉強になった。正直、海外にはほとんど出てこないような作品を一つ一つチェックするのは辛いので、こういうのを読むのも良いかもしれない。
 しかし、映画批評としては、『瞭望』という雑誌の性格からして仕方がないのだろうが、エリート知識人的な目線からの大衆文化批判という感じで、批判される方からしたら「大きなお世話」という感じかもしれない。
 この期のテキストは基本的に『瞭望』から取ったもので、映画産業とか扱うには適切な文献とは言えなかったかもしれない。反省。

中国の映画産業(1)「賀歳需要多少影片?(お正月はどのくらい映画が必要?)」

 授業で使った文献の続き。

「賀歳需要多少影片?(お正月はどのくらい映画が必要?)」『瞭望』2009年12月7日

[要旨]
今年のお正月映画枠は豊作で、作品数は50以上と言われている。『熊猫大侠』、『我的唐朝兄弟』の上映から来年の春節(バレンタイン・デー)まで、3ヶ月の長きに渡り、一年の3分の1がお正月といっても言い過ぎではない。
 作品数が多くなれば観客の選択肢が増えると思われるが、実際は映画館で一度に上映できるのは数編に過ぎず、一部の作品が“特権”を享受する以外には、大多数は数日上映されるだけで終わってしまう。国慶節の期間中は、『建国大業』の興行収入が3.9億元に達し、20作に近い「献礼」、「非献礼」、「主旋律」、「非主旋律」作品の中で独り勝ちした以外は、2位の『風声』が1.4億元以外は全く振るわなかった。
 近年、中国における(映画館の)スクリーン数は急速に増加し、去年は全国総数4097から今年末は4900に増えた。多くの映画館ではスクリーンの数は10以下だが、多くの場合、4〜5のスクリーンで同一作品を上映し、他の作品には1〜2しか与えられない。
 映画産業は近年比較的発展が良好なクリエイティブ産業の分野だが、制作側の情熱が観客の消費能力を超過している。興行成績総計は昨年の15億元から20億元へと増加しているが、このような巨大な“器”でも映画製作者の欲望を盛りきれない。我々の映画産業の発展はもっと理性的でなくてはならず、映画自体の工夫や、他の収益方法の開発が必要である。

[コメント]
 中国映画についてはインディペンデントのものしか観ていなかったので、主流の映画を取り囲む状況について概況が分かり、勉強になった。映画市場自体は拡大しているのに、内容的には画一化の方向に進んでいるという批判自体は、なにやらデジャヴな印象も受ける。
 1990年代後半、グローバリゼーションの煽りで、世界の映画がハリウッドに席巻され、多くの国の映画館でローカルな映画が上映できなくなり、映画の多様性が危機に瀕しているといった声がよく聞かれたように記憶しているが、実際は、2000年代は韓国でも日本でも映画産業はむしろ盛んになったように思う。
 インディペンデント映画に関しては、特にドキュメンタリーに関してはデジタル・カメラの普及とかで、低予算で面白い作品が多数撮られるようになったという印象がある。中国の場合、規制さえ緩和すれば、インディペンデント映画にはまだのびしろがあるように思う。
 とはいえ、日本でもミニシアター文化は若い世代に引き継がれず、ミニシアターの閉鎖も多いので、楽観視はできないが。

1月例会 琉球弧の言論状況と社会運動の関係、ほか

 中国公民社会研、2011年度1月例会を下記の日程で開催します。
 今回は読書会、研究報告の2本立てです。ふるって御参加下さい。

 中国公民社会研
◎日時:2011年1月15日(土) 15:00開始
◎会場:東洋文庫(財)東洋文庫 イスラーム地域研究・現代中国地域研究資料室
(詳細は案内末尾にあり。「文京区本駒込」の本館の方とは違う場所なのでご注
意下さい)。

◎内容:
1.読書会
担当:村井寛志(神奈川大学、中国近現代史
テーマ:王紹光『安邦之道―国家転型的目標與途径―』(三聯書店、2007年)よ
り、「中国的社団革命―勾勒中国人結社的全景図―(中国の社会団 体革命―中国人
の団体の全体像のスケッチ―)」と「促進中国民間非営利部門的発展(中国の民
間非営利部門の発展促進)」(pp.463-480) の部分を中心にレビュー
 参加御予定の方でテキストご希望の方は、村井までお伝え下さい。
※王紹光氏については、滝田豪「中国「新左派」の民主化論―王紹光を中心に
―」(『産大法学』43(3/4)、2010年)に紹介があります (CiNiiよりダウンロー
ド可)

2.研究報告
報告者:胡冬竹(法政大学沖縄文化研究所奨励研究員、東アジア政治文化論)
報告題:「琉球弧の言論状況と社会運動の関係
               ーー雑誌『新沖縄文学』を中心に」

内容:
琉球処分以来、東アジア近代の矛盾が凝縮される
場所として、琉球弧が幾度も「はざま」の立場に強いられなが
ら、独自の抵抗思想も作り上げてきた。特に戦後過酷な米軍占
領期と「日本復帰」のジレンマの中で、論壇雑誌などを中心に
する言論空間が社会運動との間に内在的な関係性が築かされて
きた。今日、「冷戦期並みの不毛緊張」が走っている東アジア
において、もう一度琉球弧の言論と社会運動の有機的、かつ内
在的関係性に注目し、そこから生まれた冷戦思考に対抗する思
想を検証することが求められる。

◎会場詳細:
〒170-0003 東京都豊島区駒込1-3-1 メリノ六義園ビル5階
電話:03-3942-0146
会場は、http://www.tbcas.jp/ja/access.html
2枚地図がありますが、下の方の地図「事務所所在地」の方です。
「文京区本駒込」の本館の方ではありません。
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