三澤真美恵『「帝国」 と 「祖国」 のはざま―植民地期台湾映画人の交渉と越境―』

日本から持ち越した仕事が幾つかあるが、なかでも締め切りをはるか昔に過ぎている三澤真美恵さんの『「帝国」 と 「祖国」 のはざま―植民地期台湾映画人の交渉と越境―』の書評の仕事、いい加減にやらないといけない。実証面、理論面とも非常に緻密な構成で、個人的には学ぶところが大きかった。

しかし、逆に完成度が高い本というのはツッコミがしづらく、書評としては何を書いたら良いか悩んでしまう。 
 とはいえ、引き受けた以上は何かを言わないといけない。以下、考えをまとめるための下書き。

三澤さんの本の基本的な構図をまとめると、植民地下の台湾で、台湾人が映画という「近代」を追求しようとしても、様々な抑圧により挫折せざるを得なかった。そこで本書で扱われる劉吶鷗、何非光らは中国に「越境」することでこの限界を超えようとしたが、結局は中国ナショナリズムに完全に同一化することもできず、悲劇的な運命をたどらざるを得なかった。この構図は本書の中で繰り返し説明されているが、ここでいう「近代」とたいう概念については最初の方でごく抽象的な定義がなされているだけだ。

 しかし、植民地下台湾の「近代」については、台湾文学研究の分野ではやや異なった角度からに言及されているようだ。例えば陳芳明『殖民地摩登: 現代性與臺灣史觀』(2004)では、植民地下の台湾にもたらされた「近代化」は、日本人により強制されたもので、抑圧的な側面を持ってたとしている。頼和、呂赫若といった文学者は植民地下の近代性に批判的な視点を持っていた、そしてそれは、彼らをして台湾社会の伝統や土着的なものに目を向けさせたという。

 被植民者による主体的な近代追求に対する抑圧(三澤)と、植民者の立場からの近代の強制(陳)は、必ずしも矛盾するものではないと思われる(そして厳密に両者の境界をどのように引くかは難しい)。しかし結果として、「祖国」への越境という道を選択した劉吶鷗、何非光は映画という20世紀的メディアにより普遍的な近代を追求し、台湾に留まった作家たちが活字という19世紀的なメディアを通じ、土着的なものへ回帰した。という対比的な構図が引ければ面白いかな、などと漠然と思っている。

とはいえ、事例が少なすぎてちょっと強引な気もする。じっくり練り上げるにはもはやあまりに締め切りを過ぎているので、少しトーンダウンして穏当なところに落とすかな。いずれにせよ、数日中には仕上げたい。