カンダハール

 カンダハール(6・終)

〈http://d.hatena.ne.jp/murai_hiroshi/20050623/〉より続く。 ―――――――――――――――――――――――― おわりに 以上の考察から何を導き出せるだろうか。復興の見通しが立たないまま、早くも世界から再び忘れられ始めているアフガニスタン、あるいはアメリカから次なる…

 カンダハール(5)

〈http://d.hatena.ne.jp/murai_hiroshi/20050621/〉から続く。 ―――――――――――――――――――――――― 4.映像の中のポリティクス―近代主義と自己相対化― 『アフガニスタンの仏像は…』に見られるように、監督自身はアフガンの人々がいかに苛酷な状態にあるかを、『カン…

 カンダハール(4)

〈http://d.hatena.ne.jp/murai_hiroshi/20050620/〉から続く。3.変容するポジショナリティ しかし、ナファスの視線、語りは、映画を通して一貫した方向、性質にあるわけではない。そこには、微妙だが確実な、彼女の視線の変化が描写されている。 少年ハク…

カンダハール(3) 

〈http://d.hatena.ne.jp/murai_hiroshi/20050619/〉からの続き。 ―――――――――――――――――――――――― 2.視線のダイナミズム しかし、『カンダハール』はこの文字テクストの映像版というわけではない。マフマルバフの本領は映像作品の中にあり、こちらの読解には、…

 カンダハール(2)

〈http://d.hatena.ne.jp/murai_hiroshi/20050618/〉からの続き。 1.アフガンの真実かプロパガンダか? アフガニスタンからカナダに亡命した女性ジャーナリストのナファスNafas(ニルファー・パズィラNiloufar Pazira)が、皆既日食の日に自殺するという手…

 『カンダハール』を読む―映像と他者表象のポリティクス― (1)

ほとんど研究会のお知らせ以外アップしていないので、何か書こうかと思ったけど、日々のノルマをこなすので精一杯で、当面ゆとりもない感じだ。 代わりというわけではないけど、ちょうど2年くらい前のカルチュラル・タイフーン2003で報告した原稿、お蔵入り…