カンダハール(3) 

http://d.hatena.ne.jp/murai_hiroshi/20050619/〉からの続き。
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2.視線のダイナミズム
 しかし、『カンダハール』はこの文字テクストの映像版というわけではない。マフマルバフの本領は映像作品の中にあり、こちらの読解には、より多層的アプローチが要請される。
 既述の通り、この作品はアフガニスタンからカナダに亡命したヒロインのナファスが妹のために、危険を冒してアフガニスタンに潜入するというのが基本設定になっている。そしてこのヒロインの視線が多くの観客に違和感を抱かせることが、この映画に多くの批判が寄せられる一因であるように思われる。
 映画の冒頭は、ナファスの声による英語のナレーションから始まるが、その声はアフガニスタンに向かうヘリの中で、テープレコーダーにメッセージを吹き込む彼女の声に置き換えられていく。以後、映画前半部では、テープに吹き込む音声と、映画のナレーションがしばしば置換されるが、その内容は、カンダハールにいるはずの妹への語りかけという形式と、アフガニスタンの現状を外部世界に伝えるジャーナリストのレポートとが、分かちがたく結びついている。この映画の“事実らしさ”が、英語を中心とする世界での文化消費構造の中にしっかり位置付いていることが窺える。
 冒頭の国境地帯での彼女の視線は、完全にジャーナリストとしてのそれであり、妹に語りかけるというのは単なる形式に過ぎない。ジャーナリストとしての彼女が見たものとは、アフガン側に送り返される少女たちに、どんな苦しい状況でもひたすらじっと耐えるようにという絶望的な教えが諭されている光景であり、人形にしかけられた地雷の危険が教えられる光景であり、誇らしげに3人の妻について語り、当然のように女性にブルカを強いる男性であり、盗賊にあっても抵抗せずに神に無事を感謝する一家の無気力さであった。次々とアフガニスタンの痛ましい現状と“遅れた”文化を捉えていていく、彼女のあからさまに近代主義的な視線は、『アフガニスタンの仏像は…』における監督のそれと重なり、いきなり序盤から見る者に違和感を抱かせる。
 しかし、この映画に登場するアフガニスタン人たちが、単に哀れむべき者として描かれているのかと言えば、そうではない。隠れ蓑を提供してくれた一家と分かれた後、彼女が出会う人々の描写は、俄然魅力的なものになる。ガイドの少年ハクKhak、次から次へと嘘をつき、赤十字センターで義足をせしめてしまう片腕の男ハヤトHayat。彼らの奔放さは、しばしばヒロインの目の届かない場所で発揮される。彼らの登場シーンは、ナファスと出会う直前の描写から始まり、その意味ではナファスの預かり知らない部分を持っている。
 少年ハクは、アラビア語の教育と、兵士養成と、食糧の施し所を兼ねた神学校(マドラサ)で学んでいたが、アラビア語を覚える気のない彼は、コーランの節を読むふりをしてエーエーと声だけ出していたが、先生にばれて放校される。コーランを覚えられなくて放校になったはずの彼だが、ちゃっかり墓地で死者にコーランを読む(ふりをする)のを商売にしてしまう*1
墓地の近くで放り出されたナファスは、この少年をガイドに雇うのだが、彼女の視線は少年の背景には一切届かない。ブルカの下の(抑圧された)女性の素顔を見ることを望んでいたナファスだが、ハクとの出会いでは、反対に「信用できる人かどうか」確認するために素顔を見せることを要求される。彼女にはハクの考え、行動が理解できず、道中死体から抜き取った指輪を売りつけようとするハクに驚くあまり、自らブルカに顔を包み、少年を拒絶する。
 ナファスはハクとの道中を通じ、目の前にいる少年ではなく、英語という“普遍”言語とそれを記録するテープレコーダーという媒体を通じ、外部世界とのつながりを保持し続ける。彼女の英語と文明に対する信頼は、英語を駆使するアメリカ出身のブラック・ムスリムの(偽)医師(ハッサン・タンタイHassan Tantai)への対応に表れる。ソ連の侵攻と戦うためにこの地へやって来て、「西洋人の医学の初歩的知識は彼らよりはるかに勝る」と言って憚らないこの人物が、英語で、少年は「貧しさから何でもする」危険な存在だとして追い返すよう勧めると、彼女はいとも簡単にこれを信じて実行に移す*2
 彼女のナレーションに始まり同じナレーションで終わるこのロード・ムービー風の作品を見るのに、彼女の後を付いて映画の中の世界を旅するというのが、観客の最も自然な反応だろう。通常であれば、ナレーターを兼ねるヒロインは、我々観客の目を適切に物語の世界へと導くナビゲイターの役割が期待される。しかし、物語の前半部において、彼女の視線はひたすら表面を滑っていく。

http://d.hatena.ne.jp/murai_hiroshi/20050621

*1:「どうやって食べてるの」というナファスの問いに対し、ハクは「僕は声で食べている」と答えている。ナファスはこれを歌という風に解釈しているが、コーラン朗読のふりを含んだ文字通りの声を意味しているのだろう。

*2:この場面で、ハクは再び死骸から抜き取った指輪をナファスに売りつけようとする。この行為は、「無償の贈与」〔岡〕というよりは、彼女の蔑みを敏感に感じ取り、プライドを傷つけられたことからくる反応のように見えた。兵士としての暴力を教育され損ねた少年が、危険な存在として退けられるという設定に、アイロニーが読み込める。