坪井祐司・村井寛志「マレーシア華人新村の形成過程と地方政治―スレンバン近郊の2 新村における現地調査から―」

共著ですが、ここ数年来マレーシアでやってるオーラル・ヒストリーの報告書(のようなもの)第一弾です。あまり深い分析はしていませんが、とりあえず調査事例の基礎情報をまとめていこうという趣旨でやってます。

坪井祐司・村井寛志「マレーシア華人新村の形成過程と地方政治―スレンバン近郊の2 新村における現地調査から―」(『人文学研究所報』45、神奈川大学人文学研究所、2011年)

「0. はじめに」より
 本稿は,2007〜2010年にかけて行われた著者(村井,坪井)と東條哲郎の3人が共同で行った,マレーシア・ヌグリスンビラン州,スランゴール州の計14の華人新村(以下「新村」)の形成過程に関する聞取り調査の成果の一部である。本稿では特に,ヌグリスンビラン州スレンバン市周辺地域における
華人新村の形成過程を取り上げる。
 「新村」とは,1949〜50年代のマラヤにおいて,地方部の華人住民の強制的な集住により形成された集落である。1948年のマラヤ共産党武装蜂起に際して,イギリスは「非常事態(Emergency)」を宣言して鎮圧に乗り出した。山間部でゲリラ活動を続けるマラヤ共産党には華人が多かったため,イギリス当局はこれに対する食糧・物資の供給源を絶つべく,地方部における華人を強制的に集住させて管理しようとした。この集住のために作られたのが新村で,1954年までにマラヤ全域に480の新村が形成され,約57万3千人が移住させられた。その後,マラヤ共産党の勢力減退,1957年のマラヤ連邦独立を経て,60年には正式に非常事態の解除が宣告されるが,多くの住民はその後も新村に住み続け,54年時点で480だった新村のうち,2002年の段階でも450が残存している[林・方20058]。つまり,新村は今日まで続くマレーシアの地方部における華人集落の一つの原型と言える。
(中略)
 一方で,個々の事例を比較検討して地域的特徴を明らかにする作業は十分に行われていない。個別地域の特性を明らかにするためには,歴史的展開が比較的似通った幾つかの新村をグルーピングし,それぞれの村落史を再構成する方法が有効と思われる。その第一歩として,本稿では,ヌグリスンビラン州スレンバン郡ラサ新村(Rasah,亜沙)およびシカマット新村(Sikamat,小甘密)の事例を取り上げる。ヌグリスンビラン州は半島部マレーシア西岸部に位置し,スレンバンはその州都である。ラサはスレンバン中心から南に5km,シカマットは北東に5km ほどの距離で,スレンバン市に近接している。
 この2村は,マラヤのなかでも最初期に形成された新村である。新村がマラヤ全域に展開されたのは1950年5月に立案されたブリッグス計画(Briggs Plan)によるが,この2村はそれに先立つ49年に設置されている2村とも母体となる集落を持たず,新村建設によって初めて村として成立した。つまりこの2村は,イギリス当局が明確な方針を定める前に成立しており,その成立過程には,新村建設をめぐる試行錯誤が表れている。
 つまりこの2つの新村は,大都市近郊の新村であること,ならびに最初期に形成された新村であることという二点において特徴を持つ。本稿ではこうした視点からこの2村の村落形成史を再構成する。
(以下略)

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