「碑文なき記念碑が語るマレーシアの抗日の記憶をめぐる抗争」

「碑文なき記念碑が語るマレーシアの抗日の記憶をめぐる抗争」(『非文字資料研究』26(2011年)、pp.14-15 → http://himoji.kanagawa-u.ac.jp/publication/pdf/NL26.pdf
 多民族国家であるマレーシアでは、マレー人を中心とするブミプトラが全人口の66%を占めるが、中国からの移民の子孫である華人も26%を占めている。隣国のシンガポールがやはり多くの華人人口を抱えながら(76%)、周辺国に配慮した英語中心政策によって中国語(華語)の公式な使用が抑えられてきたのとは対照的に、マレーシアの華人コミュニティにおいては、ある種の自治が認められ、中国語による教育や、中国語のマスメディアが受容されている。
 こうした中国語の通用性に助けられ、筆者はここ数年、マレーシア農村部における華人コミュニティの現代史に関するオーラル・ヒストリーの調査に携わっている。調査は主として、第二次大戦後を対象としているが、日本人である筆者が聞き取りを行う際、現地の人々から温かい協力を受けることが多い一方で、しばしば、1941年12月〜1945年8月の日本軍による占領で肉親を殺されたり、迫害されたという老人に出会う。また、そうした直接的な経験がない世代からも、日本の戦争責任や歴史認識について厳しい質問を投げかけられる機会がある。元々中国現代史を専門とする筆者にとって、中国本土においても同様の経験をすることは多く、これに対してどのように応答するべきか、いまだにはっきりとした答えを出せていない難しい問題だ。
 それはそれとして、一方で、マレーシアにおける日本占領の記憶は、そこで用いられるボキャブラリーなど、一見中国本土におけるものと似ているようにも見えるが、中国本土とは相当に異なる、戦後のマレーシア社会の独自のコンテクストが背景として刻み込まれている。ある記念碑の事例からこれを考えてみたい。
(下略)