6月例会―近代的幻影の降霊―「女優家M」と消えたファロス事件

 下記の催しを行います。来聴歓迎です。
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Cultural Studies Forum (CSF)6月例会のご案内(転送歓迎)

◎日時: 6月25日(日) 14:00〜

◎会場: 武蔵大学7号館 社会学部実習室3(7309教室)
 最寄り駅西武池袋線江古田駅西武有楽町線新桜台駅、地下鉄大江戸線新江古田駅 
  (詳細は〈http://www.musashi.ac.jp/03-02.html〉をご参照下さい) 
◎報告題: 近代的幻影の降霊―「女優家M」と消えたファロス事件
◎報告者: Ignacio Adriasola (イグナシオ・アドリアソラ)
    (デューク大学美術・美術史及び視覚文化研究科博士課程
     千葉大学大学院文学研究科修士課程在学中
     日本・近現代視覚文化研究
◎ディスカッサント: 熊倉敬聡(慶応義塾大学)
*発表は日本語で行ないます。

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近代的幻影の降霊―「女優家M」と消えたファロス事件

 本発表では、空間的な不気味さunheimlichkeit、と空間実践
(H・ルフェーブル)として降霊conjurerの可能性について考察する。
 はじめに、アンソニー・ヴィドラーによるarchitectural uncanny (建築的不気味)の定義を批判的に検討し、その限界や可能性
について考察する。精神分析論のuncanny概念の原点ともいえるネオ・ゴシック文学の約束事をアレゴリカルに参照し、空間の「haunting出没」、また、デリダによればパフォーマティブな社会責任の実践である「降霊」、という二つのコンセプトに注目する。これらの概念を森村泰昌の「女優家M」シリーズの一環として発表された東京大学でのパフォーマンス/撮影(後に1995年の「女優家MセルフポートレートNo.72」と題された作品)の分析に作用し、このパフォーマンスにおける学生運動時代への空間的レファレンスを指摘する。
 森村がこのパフォーマンスで使った教室とは1969年5月に小説家三島由紀夫全共闘の学生たちとの討論会で使った教室と同じ空間であった。発表者は、森村が後に回想エッセイに書いたように、マリリンと三島が合体するのを感じた」、という興味深い指摘に注目する。森村は故意に「東大闘争」と「三島」という二つの記号化された事件/人物の一方でマリリン/私を対比させることによってどのような関係性をつくりあげれたのだろうか。森村のパフォーマンスの意義と彼によるその解釈を理解するために、東大の大学空間、また大学闘争におけるその役割について考察する。
 安保闘争と大学自治問題のメトニミーとも呼べる1969年1月の安田講堂事件の背景、特別警官機動隊派遣および安田講堂の強制解除、とマスコミにおけるその表象について触れてから、三島による高度成長期の若者たちの暴力的な行動を戦後社会の「去勢」とつなぐ診断や、彼が想定する超男性性(hypermasculinity)の実践としての身体改造プログラム、変形によって失われたファロスの回復、について考える。
 森村が行った空間実践では大学空間の不気味さをもたらす近代
的幻影が有効的に追い払えないのだが、政治暴力におけるホモソーシャリティの役割や三島と森村自身の仕事におけるクィアーな変形という連続性を暴露することによって、近代国家プロジェクトにとって必然たる禁じられた欲望を降霊させたのである。

文献ー
Derrida, Jacques "Spectres de Marx" 1993 Paris: Gallimard
Lefebvre, Henri "La production de l'espace" Paris:
Anthropos, 1974.
Vidler, Anthony "The Architectural Uncanny: Essays in the
Modern Unhomely" 1992, Cambridge, Mass: MIT Press.
森村泰昌 「「女?日本?美?」ノート」 in 熊倉敬聡、千野香
織 (編) 『女?日本?美?ー新たなジェンダー批評に向けて』
慶応義塾大学出版会、東京、1999