『良友』画報と華僑ネットワーク―香港・華僑圏との関連からみた“上海”大衆文化史―

村井寛志「『良友』画報と華僑ネットワーク―香港・華僑圏との関連からみた“上海”大衆文化史―」(『東洋史研究』66-1、2007年)

※以下要旨
 本稿では、モダン上海を象徴する図像がちりばめられていることで知られる『良友』画報について、そのスタッフや資本、市場の広がりなど、メディアをめぐる社会経済的な関係を中心に考察する。
『良友』の出版元である良友公司は、その発足時において、スタッフや資金調達の面で、創業者伍聯徳の出身地台山や母校嶺南のつながりを中心にしたネットワークの影響が色濃く表れていた(第一節)。多数の海外移民を排出した台山、華僑子弟が多く学んでいた嶺南を軸としたネットワークは、伍聯徳の海外遊歴を機に海外へと拡大し、股東の中に香港在住者や在米華僑が大きな位置を占めることになった(第二節)。その後『良友』販売が軌道に乗ると、伍の個人的な努力を超えた範囲で販路は拡大していく。一方で国内市場の成長に伴い、一九三〇年代の『良友』には国内重視への転換も見られた。これは同時に、左翼系の新文学作家との関係強化をもたらすことになり、良友公司に新たな一面を付け加えることとなった(第三節)。
視野を広げてみれば、両大戦間期の上海の大衆文化面における近代性を象徴するデパート、映画などの諸産業は、いずれも広東系華僑のネットワークの中で登場するものであり、『良友』画報の登場もそうした流れに位置づけられるものだった。ここに、一九二〇〜三〇年代の上海の文化産業を、香港や海外華僑の世界への広がりの中で再定位するという課題が生じてくる(第四節)。
香港と上海という二都市を軸に、中国国内と華僑の世界が交錯するものとして中華圏の近代大衆文化史を描くための、作業の一コマとして本稿を位置づける。