(1) ゴッドハンド大山倍達と東亜連盟

 以下、2月24日のミクシィ日記に書いた内容です。近々続きをこっちに書こうと思うので再録します。
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 最近、といってもここ3ヶ月くらいだが、『空手バカ一代』のモデルとして知られる、極真空手の創始者大山倍達とその周辺の空手の歴史について興味を持って、本業の合間に少しずつ調べている。
 きっかけは、昨年末に古本屋で大山の『極真空手・21世紀への道』という本をざっと立ち読みしたことに始まる。自慢話を集めたしょうもない本だが、思いのほか目を留めてしまう箇所が多く、結局買ってしまった。
 戦前〜戦中にかけての大山の空手との出会い、取り分け、剛柔流空手との出会いが興味深い。大山によれば、彼の師は「曹七先生」で、曹は石原莞爾が主催する東亜連盟の傘下にある義奉会義方会の誤りか)の道場で師範をつとめていた。大山自身、朝鮮を自治国家とするという石原の主張に共鳴し、熱心な信奉者となったこと、しかし、アメリカとの戦争への動員に重点を置く石原に噛みついたエピソードなどが記されている(この辺は、後に再構成された証言なので、額面通りには受け取れないが)。
 この後、ネットなどで調べて分かったことだが、この「曹七先生」は者(曹)寧柱。戦中、京大に留学していたが、瀧川事件に連座して退学、立命館に移り、後、東亜連盟に関わり、朝鮮独立を訴えたとして(本人の言によればそれは誤解)度々逮捕されている。彼の戦前の動向については松田利彦氏による研究がある。戦後も石原の葬儀委員長を務めるなど、石原とのつながりは浅くない。加えて、戦後の民団創設の立役者の一人でもあったらしい。思いのほか大物だ。
 大山の出自が植民地期朝鮮にあることは公然の秘密だが、その彼がどのようにして空手と出会ったのか、今まで考えたことがなかった。しかし考えてみれば、朝鮮の出自と、沖縄の空手(唐手)が、戦前においてどのようにして出会っていたのか、その接点は自明ではない。
 大山個人についての調査は進んでいないが、調べていくうちに、その周辺で興味深い事実が出てきた。日を改めて、続きを書いていきたい。題して「地上最強のポストコロニアリズム」?